■ 終業式が終わったのに、まだ学校に行かされる違和感
終業式が終わり、 子どもたちは「やっと一区切りついた」と感じる時期です。
しかし、姉妹の通う公立中高一貫校では──
終業式後も全員登校して補習を受けることが義務。
私はこの話を聞いたとき、 強い違和感を覚えました。
- なぜ終業式後に全員登校?
- なぜ補習が“義務”なのか?
- なぜ理解している生徒まで拘束するのか?
- なぜ個別対応ではなく一律なのか?
そして何より、 子ども自身が学校への不信感を抱いていた。
■ 子どもの本音:「先生は補習ありきでカリキュラムを組んでいるのでは?」
妹がこう言いました。
「先生、補習がある前提で授業してる気がする。」
この言葉は、 学校の構造的な問題を鋭く突いています。
本来、補習とは──
- 授業についていけない生徒のため
- 個別の弱点を補うため
- 必要な生徒だけが受けるもの
のはずです。
しかし現実は、
“補習ありきの授業設計”になっている。
つまり、 授業で終わらなかった分を補習で埋める前提。
これは、 教育として本末転倒です。
■ 「できる子」まで拘束する補習は、学力を下げる
補習を全員に義務づける学校は、 一見すると「熱心」に見えます。
しかし実際には、 できる子の学力を確実に下げます。
● ① 時間を奪う
できる子は、補習の時間を
- 先取り
- 苦手克服
- 塾の学習
- 自主学習 に使いたい。
しかし学校はその時間を奪う。
● ② 学習効率が下がる
できる子にとって補習は「復習」ではなく「足踏み」。
● ③ モチベーションが下がる
「できているのに拘束される」 これは子どもにとって大きなストレス。
● ④ 学校への不信感が生まれる
妹の言葉が象徴的です。
「補習ありきで授業してるんじゃない?」
これは、 学校が“できる子の時間”を軽視している証拠です。
■ なぜ学校は「全員補習」をしたがるのか?──構造的な理由
私は士業として、 組織の構造的な面を考えてしまいます。
その視点で見ると、 学校が全員補習をしたがる理由は明確です。
① 教員の授業進度がバラバラ
- 進む先生
- 遅れる先生
- 授業が崩壊する先生
これらが混在しているため、 補習で帳尻を合わせるしかない。
② 個別対応の能力がない
本来は「できない子だけ補習」が理想。
しかし、 人手不足・スキル不足で個別対応ができない。
③ “全員補習”の方が管理が楽
- 出欠管理が簡単
- 全員同じ内容
- トラブルが少ない
- 教員の負担が減る
つまり、 学校の都合が優先されている。
④ 進度の遅れを補習で埋める前提の授業設計
授業が遅れても、 「補習があるから大丈夫」という空気。
これは、 教育として致命的です。
■ 子どもは“学校の空気”を敏感に感じ取っている
子どもは大人以上に、 学校の空気を敏感に感じ取ります。
妹はこう言いました。
「補習があるから授業で終わらなくてもいいって思ってる先生がいる。」
この言葉は、 学校の本質を突いています。
- 授業の質が低い
- 授業が終わらない
- 補習で埋める
- 全員拘束
- 子どもの時間が奪われる
これでは、 子どもが学校を信頼できるはずがありません。
■ 父親としての結論:補習は“必要な子だけ”でいい
私は娘たちにこう伝えました。
「補習は必要な子だけでいい。 できているなら、行く必要はない。」
そして、 家庭では塾中心の学習に切り替えました。
- 塾の先取り
- 自主学習
- 興味の深掘り
- 苦手克服
- 受験対策
これらは、 学校の補習より圧倒的に価値があります。
補習は、 できない子のための救済措置であり、 できる子の時間を奪うものではない。
■ 最後に:学校は“補習ありきの授業”をやめるべきだ
学校に求めたいのは、 次の一点です。
「補習ありきの授業設計をやめてほしい。」
補習は本来、
- 個別対応
- 弱点補強
- 必要な生徒だけ のためのもの。
全員補習は、 学校の都合でしかありません。
私は父親として、 子どもたちの時間と未来を守るために、 この現実を発信し続けます。


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